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sayukiの日記

sayukiの日記

我が、ぶ~勇伝

ここに記すは「我が、ぶ~勇伝」である。古い事なので記憶違いもある事だろう。
かく言う俺様は若い頃からおとなしく、引っ込み思案でモテモテの睾丸の美少年だったようだ。
何?字を間違えた?あはっ、それってどんな顔じゃ。想像してみたら笑えるぜ。
まぁ、下らぬ事ばかり書いているのだが、屁でも垂れながら読んでくれたまえ。 
  分類:ノンフィクション 著作権はsayukiに属する。  起稿 2007.6.6

   1.入社後、生産部生産管理担当へ
 大学卒業後、俺が入った会社は、船舶艤装品製造の従業員150人程度の小企業である。そこで最初に任された仕事は、生産管理担当である。後に聞けば入社後3~5年を経て、ある程度会社の内情が分かってからでないと勤まらない部署だそうだ。工程を取りまとめなければならぬ相手はというと、海千山千の何年もいる会社の主のような外注担当者T係長とB係長、第一、第ニ工場の職長や工場長達である。当然の事だが、外注関係の納期遅れが続発し、客先からクレームが来る。そこで俺は、工程正常化の爆弾を考えた。納期遅れ一覧表というのを作り、部長、課長まで回覧してやったのだ。奴らは大慌てで、納期に間に合わそうと駈けずり回る。こうなったら俺の意の侭に担当者を動かす事が出来る筈だった。だが、納期遅れは減ったのだが、外注担当者T係長と倉庫で納期遅れの件で、丁々発止の大喧嘩。奴は角材まで持ち出した。素手の俺は勿論引かない。俺の危機を見て倉庫番のO老人が連絡したのか、営業の担当者N氏が真っ青になり、直ぐに飛んで来て、止めに入る始末。この馬券買いを趣味としているO老人は良く馬券を当てていた俺のファンの一人でもあったのだ。考えてみれば、俺は何と生意気な新入社員だったのだろうか。この時のN.K部長は、私見ではあるが昼行灯、外見しか見えないハゲの変態野郎で、「お前は生産部では使い物にならん、設計に行かんかね」とぬかした。いやだとキッパリ断ってやった。まぁ、そんな経緯で、翌年はベテランのK氏が生産管理担当となった訳なのである。ちなみにK氏は、後述する生産技術課の上司となる人物である。
 大学時代から正月に、ばあちゃんが作ってくれた白い着物、袴で鎌倉八幡宮の売店でお札売りのバイトをしてた俺なのだが、入社した年の大晦日、俺の名を呼ぶ奴がいる。うわっ、会社の営業部イケ係長ではないか。何でも毎年初詣に来ていたらしい。そして、後日、噂は会社に広まり、付いた渾名は「神主さん」。このバイト、三が日で五日分の手当てと交通費が出て割りが良かったのであるが、翌年からは行くことを泣く泣く断念した。本当に泣いたのではいないんだぞぉ。物の弾みでこう書いたまでなのだ。
(この年に会社の詩吟同好会に入り詩吟の会などに出席してた。恐らく上司の係長の勧めで入会したのだと思う。会員は10名程度で若い人は2名位だった。)
   2.生産部資材課外注担当へ
 そんな訳で次ぎの年は外注担当である。外注先への資材の搬入、引き取りのため、2トン車で外注先を回るのだ。その初日の出来事である。おや?新入社員か、一つからかってやろうという積もりだったのだろう。運転手は腹を押さえてこうぬかした。「今日は腹が痛い。車の運転は出来ない」と。トラックなど運転した事がない俺なのだが、涼しい顔で、挨拶代わりにこう答えた。「それは難儀な事だ。よし、助手席に行け、俺が運転してやる」でも結局、そ奴が負けてハンドルを握り車は出発した。いや後で聞けば、そ奴は、外注の運送会社の専務取締役で自称、極道だという事だ。話しをすると面白い奴で、極道には悪い奴はいないとも思ったものだ。何故かこのH氏とは後日誘われて、良く飲みに行く事となる。お前に盃(さかずき)をやるなんて事もよく言われたものだ。その数ヶ月後、会社に中途採用の運転手I氏が入社して来た。この男も極道っぽいのだ。外注先へ向かう車中、愚痴を聞いてやってる内に、「お前、気に入った。今度、飲みに行こう」なんて、飲み友達が又増えてしまった。類は友を呼ぶってか?結局、先のH氏そしてI氏と俺の三人で定期的に夜の街に繰り出したものだ。先に登場のO老人も仲間に入れろとせがむので、時折、お供にしてやった。余程嬉しかったのか、その時のO老人の笑顔は光輝いていた。
 外注担当になって吃驚したのは、夏の御中元のシーズンに会社内の打ち合わせ中の机の下から、いわゆる袖の下が来た事である。開けて吃驚玉手箱でないが、当時月収の1/3相当額が入っていたのだ。おい、おい外注担当は害虫かよ。なぁんてね。他の外注からは靴下などの品物が、教えてもない自宅に送られて来たものだ。外注先は何社もある。これが余禄というものだ。2年目の私がそうだから、上司達には幾ら行ってることやら。後日聞いたのであるが、ある係長は軽自動車一台買って貰ったらしい。断っておくが、あくまで噂である。しかも信憑性がある噂なのだ。ね、B係長。「そう、極めて信憑性が高い噂だ」本人がそう言っているのだから、間違いない!
 標準部品を担当していた俺なのだが、東北の多賀城のT製鋼に出張の命が下る。ここは鋳物製品の外注先なのだ。いやぁ、行って見ておどりゃたぁ~。名古屋弁が出る程の驚きであつた。ただ製品検査に来ただけなのに、上に下への饗応で、手土産まで呉れる有様だったのである。何じゃこりゃ!俺ってそんな大物かい??翌日が休日であったから、物見遊山と洒落込んで松島湾に貸し切り船など浮かべ、松尾芭蕉にひと時なりすまし、近辺の神社などの見物をして帰途につく俺がいた。いささか大物気分、いささか疲れぎみの俺様であった。
(この年は仲間連中とよくキャバレーに飲みに行った。ヨッシー氏、テルー氏、O老人、そしてH氏とI氏と俺の極道三人組み?は定期的に行ったものだ。又、一人で行く事も多々あつたし、女の子に誘われ、只で飲んだ事もある。但し、酒は弱い方なので嗜む程度と言ったところである。)
   3.乞われて設計課へ
 さて、凄惨部死罪課害虫担当に慣れ、悠々自適の生活を送ってた俺に設計課からお呼びが掛かったのである。どうしても俺が欲しいと云うのだ。時の生産部K.Y部長は2年限定ならいいと返事をしたそうだ。チマチマした設計など性に合わないと思っていた俺様なのだが、期間限定の大安売りなら仕方あるまい。まぁ、結果的には、放してくれず3年もいた事になるのだが・・。でも、これがである。赴任草々に全国行脚となるのである。担当がコンテナ金物であり、当時の流行りであつたものだから、全国の造船所から引っ張り凧で、今日は東北、明日は四国、はたまた九州へと出張のオンパレード、これぞヒットパレードだったんだよね。後年、同僚の係長連中を差し置いて唯一、私だけが課内で部下を持つ事となった。この部下がU氏なのだが、稀に見る切れ者で、仕事は遅いし、出張に連れていけば、必ず切符を失くし、駅でトイレに行くと言っては迷子になるのである。まさに超がつく大物だったのである。
(今治出張の時の事を、短編「今治へ五里夢中」に記している。)
 このU氏の事を少し書いておこう。俺よりかなり年上で、背は低く、やや、太りぎみ、ギラギラした眼鏡の奥のちっこい空ろな目は焦点が合わず何を考えているのか、よく分からん奴だった。行動も不審な点が多く、昼休みになると姿が消えるのである。ある日、俺が聞いたらこう答えた。「あ、昼休みは郵便局に入金に行きます」「え?毎日なのか?」「ええ、実はゲーム機のリースをやってまして」。かい摘んでいうとこうだ。会社帰りに小銭をゲーム機から集金し、それを翌日の昼休みに郵便局に預けに行くのだという。そういえば、こいつが歩くとジャラジャラと小銭の音がするのだ。ズボンのポケットは小銭で一杯だった訳だ。何となく納得した。当然の事だろうが、聞いてみないと人の行動は分からぬものだ。又ある時には勤務中に「うわっ!」と急に叫んだ。「どうした」と声を掛けると「いや、死ぬところだった。ペンを落として助かった」と言うではないか。見ると足元にペンが転がっている。恐らく、うつらうつらしてて、怖い夢でもみたのだろう。そう推測するしかなかった。こいつのお陰で俺の推理能力は格段に進歩したと言ってもよいだろう。又、課の同僚が、U氏があるビルで手拭いで頬かむりをして、掃除をしているのを見たという。余程、金に困っていたのだろう。だが、俺にとってはかわいい??部下なのだ。あ~あ、と溜め息一つ漏れ。とかく、話題には事欠かぬ奴だったのだが、俺が生産部に復帰した時、可哀相にも後任のウッチー氏から即、首を切られた事を後に知った。
 もう一人紹介しておきたい人物がいる。ホーリー氏だ。風貌は一見芸術家タイプのオールバック、そう松本清張を、か細くした感じだ。但し前歯がない。造船所から出向でやってきた定年間際の老人である。この人は船の構造に詳しく色々と教えてもらった。だが、聞きに行くのは俺だけで、課の中では、のけ者扱いされた様な感じであった。色々船の知識を教えてもらう内に、引き出しを開けウイスキーを出し、「一杯どうですか」なんて言う。勿論、丁重にお断りをした。「じゃ、私は一杯だけ」。おいおい、勤務中だぜ。この爺ちゃんに、競輪を教えてもらうなんて、この時は夢にも思わなかった。ある時、俺の机に来て「今日はもう帰ります。これから花月園に行ってきます」なんていう。「あ、行ってらっしゃい」勿論、私の部下ではない。だが、私がいいと言えば、いつしか上司は何も言えない雰囲気になっていたのだ。なんだぁ~、下克上の変な課に来たものである。私のせいではない。以後、爺ちゃんの真似をして、午後から私も競輪場にしばしば足を運んだものだ。休日には爺ちゃんと小田原、平塚、川崎、花月園と近辺の競輪場は全て制覇する事になる。そしてホーリー氏には猫を貰う事となる。氏の姉さんが鎌倉に住んでおり、そこから雄のシャム猫を一匹貰った。すごく気位が高く、やんちゃな猫であったが、成長して行方不明になってしまった。シャムだったから攫われたのかも知れない。俺だって、血すじや毛並みだって良いのに攫う奴がいないのはどうしてなんだろうか?てか、お前は猫かい?(一人つっこみ。
 社内旅行の事も少し書こう。まず善光寺~志賀高原、この年だけ各課合同で、翌年は能登半島周辺、翌々年は伊豆修繕寺に行っている。伊豆からU氏も参加している。事件は能登旅行で起こったのである。この時の宿舎は狭い国民宿舎であった。数人が寝ている枕元で宴会が始まり、ニ、三人が大きな声で喋り合い、いつまでも終わらない。寝る者にとっては甚だ迷惑な事である。2時も過ぎた頃、半分寝ぼけた俺は起き上がり「もう、寝ろ!」と注意した。だが止めぬので、テーブルに枕を投げつけた。それが乱立するビール瓶に当り、科学爆発を起こしたように壜が砕け散ったのである。いやぁ、周りはこぼれたビールと砕けたガラスの山となり、その掃除には小一時間以上はかかったであろう。その時はもう、俺様は夢の中だったのでどのくらいかかったのかは分からない。いやぁ、考えてみたら同僚とはいえ、相手は酔っ払いである。ビール瓶でぶん殴られても文句は言えないからだ。但し、奴らにそれだけの度胸があればの話しではあるがね。
 おっとブラックリスト事件を忘れていた。バブルによる便乗値上げがあった頃だと思うが、コンテナ金物で営業担当が通常の倍以上の値段を出しNKKのブラックリストに載ったのである。これも設計は担当してはいるが、俺のせいではない。過ぎたるは及ばざるが如しだよ。イケ係長。そういえば春闘で毎年1万円以上の回答があり、経理部のF部長が俺に「君が、私の年齢になる頃は、恐らく50万以上は貰っている事だろう」なんて言ってたのを憶えている。実際に、後年その位の金額を得た事もここに記しておこう。
(この頃、組合の青年婦人部で催しが良くあり、冬は清里高原、富士急でスケート、夏は蓼科高原、奥多摩、丹沢でキャンプがあった。又、個人的には妹とその友達の3人で志賀高原に初スキーに行っている。友達数人とフェリー奥道後で桂浜、足摺岬など四国一周、次年には金華山、中尊寺、小岩井牧場、田沢湖、大船渡観音など東北一周もしている。)
   4.生産部生産技術課へ
 『さぁて、大物?の問題児が凄惨部に帰ってきました。如何なる事が起きるか風雲急を告げております』。おいおい、ナレーション入りかよ。ええ加減にさらせよ。部に帰ってくるなり早々、俺は生産部K.Y部長に呼ばれた。「実は、お前を課長に推したのだが、前例がない。若すぎると却下された。来年まで待ってくれ」。何ぃ、知らぬ所で思わぬ事がぁ!そりゃ、若過ぎるだろうて!俺はぁ、若干27歳だぜぇ。「♪出世の階段登る~」てか?このK.Y部長は、前生産部長で今は営業部N.K部長(昼行灯)とは月とスッポン、仕事は出来るし色々な事に詳しいかったのである。只、経営にも口を出すため上層部には煙たがられる傾向もあった。又、「英雄色を好む」ではないが、その方もお盛んだった。そして、こんな話しに繋がるのだ。
 これは儚い恋のお話。そして誤解が生んだ悲劇の話でもある。何故か上司のK氏に誘われ、何度か昼飯に付き合った。恐らく周りへの目眩まし、或いは無害な奴とでも思ったのだろう。そこに同席したのが営業のH子であった。若い二人は直ぐに引かれあい恋に落ちてしまった。そして、ある日、会社帰りにデートをした。その翌朝、K氏に会議室に呼び出され「昨日デートしただろ。私に隠し事は出来ない。もう彼女には会うな」。昨日の夜の事なのに、何故に知ったのだろうか。電話か寝物語で本人が報告してるのか?心の葛藤が始まった。その後、数週間はK氏とは敵対関係となる。結局、疑惑に勝てず別れを決意する。疑惑は後に判明したのだが、二人の後を追け、全てをK氏に報告してた汚い奴がいたのである。名はコン狐。源義家から続く旧家の者に害をなす奴は、守護神が許さなかったのだろう。コン狐の子は全て流産し、子は一人として出来なかったと聞いている。只、真相を知るのが遅すぎた。もう少し早く知ったなら、二人はきっと結ばれていた事だろう。
(詩「靴下に穴」は、この時期の出来事を詩にしたものだ。事の真相は思わぬところから退社後に耳に入って来て事実を知った。)
 殆ど話した事がなかったのであるが、検査課にアオー老人という人がいた。この人は油絵を描く事を趣味にしてた様で、社内にもそれらしき絵が飾られていた。ある昼休みに、老人が北杜夫を読んでいるのを見て声をかけた。俺も北杜夫を愛読してたからである。そんなこんなで話しが弾み、絵を貰う事となる。短編「本と若者と老人」に詳しく書いたのでそちらを参照してくれたまえ。

  ・・・つづく、乞うご期待。だが、3日目にして少々書き疲れぎみである。


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